こぼれおちるすなのように

半年以上喘息の発作が無かったのに、夜中に目が覚めて、トイレに行ったあと布団に入ったらひゅーひゅーし始めた。なんでかなー苦しいなーともぞもぞしながら、いつの間にか寝ていて、昼頃起きた。久々の息苦しさに「あーこんな感じだったなあ」と変な懐かしさを感じて、ちいさいころ、先生や周りのおとなたちから言われた「おおきくなったら治るよ」という言葉と、ひとりのおじさんのことを思い出した。
小学校低学年のとき、夜中に発作が起きて度々救急病院に駆け込んでいたころ、病室が物凄く混んでいた日があって、わたしは吸入を終えたあと暫く、忙しく動き回る看護士さんをベッドで待っていた。患者さんの中に、すごく苦しそうに咳き込んでいるおじさんがいて、お母さんが「あのひとも喘息みたいだね」と言った。ひとりで苦しんでいる姿をみて、わたしは「かわいそうだ」と辛くなった。病室は混んでいて看護士さんたちは忙しそうで、あのひとは大人だから我慢できると思って放って置かれているんだ。わたしはまだ子どもだから心配されているけど、大人になっても喘息が治らなかったら、息が出来なくて死にそうなときにああやって放って置かれるんだ。と、怖くなった。
その後、わたしは、先生たちに「おおきくなったら治るよ」と言われるたび、ひとりで苦しんでいたおじさんのことを思い出した。おじさんは、喘息が治らなかったときの自分の姿だった。ざわざわした病室のなかでひとりぜえぜえと苦しむ姿。今思えば、おじさんには心配している家族がいて、それこそ病室の外で元気に戻ってくるのを待っているひとがいたかもしれないけど、病室の中のおじさんは、小学生の自分にとっては「孤独」そのものだった。
あのおじさんのことはずっと忘れることはなかったけど、病気について考えていたのは小学生のころだけで、中学のときは、つらそうな顔しながら喘息のおかげでマラソン休めてラッキー!と思っていたズル休みの常連だったし、ほんとうにおおきくなるにつれて発作が楽になっているというのも実感していたから、自分自身、喘息については特になんとも思っていなかった。でも、一人暮らしを始めてから、帰省すると必ず「丈夫になって本当に良かった」と言われて、周りのおとなたちのほうがしんどかったんだなあと感じる。元気になって安心させてあげられてよかった、としみじみ思うし、たぶん、これからもおじさんのことを忘れることはないんだろう。


久々に真面目に長く書いたー。最初は頑張ったけど書いているうちにどうでもよくなってきているのがありありとわかる。つかれたー。