『まちがいの狂言』世田谷パブリックシアター

うはー面白かった!開演19時終演20時40分、笑いっぱなしで大満足で帰ってきました。開場は18時半で、中に入ると武悪面というおっかない顔の面をつけた黒いやつらが客席をうろちょろしていて、席に座ろうとするお客さんの邪魔をしたり、お客さんの持っていたポスターで剣道の真似事をしてみたり、傘で遊んだりと姿に似合わず仕草はお茶目で滑稽でかなりかわいい。舞台がはじまる前から楽しませてもらって、その中で客席に妙な一体感を感じて、この「はじまる前」の妙な感じはライブに似てると思いながら、彼と一緒にうひうひ笑った。
舞台の大筋は(チラシの中のパンフレットによると)、

この作品の舞台は、瀬戸内海の「黒草」という架空の島。「白草」の国の商人・直介は妻と双子の息子たち、従者として引きとった双子と、船旅をしていたところ、嵐に遭って妻と息子一人、従者一人と生き別れになってしまいます。数年後、成人した直介の息子「白草」の石之介は、従者の太郎冠者とともに、それぞれの兄弟を探しに「黒草」に出かけますが・・・・・・。一体どちらが「白草」の石之介で、どちらが「黒草」の太郎冠者?二組の双子の取り違えが大騒動を巻き起こします。

そしてここで重要なのが、双子を見分ける演出の仕方。

「黒草の主従は舞台左手の黒い幕から、白草の主従は舞台右手の白い幕から登・退場する」。

野村萬斎が太郎冠者を一人二役、石田幸雄が石之介を一人二役と演じているため、こういう演出がしてあるんだけども、やっぱり段々観ているうちに引き込まれて、はあーややこしい!と思わず口に出してしまうよ。出演者それぞれ味があって、黒草の石之介の妻とその妹は濃かったなあー。言葉遊びもふんだんにあって、あきさせない。彼はあたしより大きな声で笑っていたよ。
終演後のポストトークで、萬斎はこの舞台のことを「狂言にはあり得ない早口と、男女の絡みがおもしろい」と、ゲストの壌晴彦氏は「シェークスピア狂言錬金術*1」というようなことをおっしゃっていた。壌さんは萬斎そっちのけでほーほーと唸る様な事をいっぱい言っていたので、途中からメモってみた。萬斎がいってたことも含めて。

  • 真のモダニズムは伝統から生まれる
  • 日本は宝島(「能・狂言・歌舞伎」外国人からしたら目から鱗みたいな)
  • 生きた言語(壌さんは劇団で、日本の文学作品を一切の脚色をせずに原文のまま「地の文」と「台詞」にわけて忠実に演劇として上演するという「詠み芝居」をやっている。『雨月物語』を公演した際、難解な言い回しや台詞の意味など演者たちは理解するのに苦労したが、噛み合った時にはそれは生きた言語としてすごいパワーを持っている、現代語に変えてやるのとではわけが違う、江戸時代に庶民が楽しんだものなのだから理解できないはずはないんだ、みんな近寄りがたいなんて言ってないで古典をやればいい、生きた言語を感じれー!みたいなことを言っていた気がする)
  • 言語劇
  • ドラマは小学3年生が理解できるような設定で作られている
  • 言語の年齢層
  • 劇団四季劇団四季がミュージカルを日本に輸入して公演するように、日本の舞台が外国に輸入されるようになったらほんとにすげーよみたいな)

こんな感じでふたりとも楽しそうに時に熱く語っておられました。あたしは演劇なんて関わったことがないのであーだこーだとむずかしいことはわかりませんが、温故知新という言葉はものすごく深いなあと改めて実感したということは間違いないです。学割のきくうちに、いろんなものを見ておこうと決めました。

*1:まちがいの狂言は、シェイクスピアの「まちがいの喜劇」が原作